子どもの成長を見届けていると、
「どこかで似た景色を見た気が」という、
デジャヴ(既視感)に捉われることが
何度もある。
子どもの歯が抜けたとき。
子どもが朝顔を育てているとき。
子どもが自転車に乗れたとき。
子どもが宿題をしているとき。
全部、二度目の景色のような気がする。
長男の初めての子育てのときであるにも
関わらず。いや、なんのことはない、
自分の子どもの頃の姿を重ねてしまうのだ。
そのときの仕草が、
我が子だけあって
自分と似ているからだろうか。
いや、たいていの子どもは同じ仕草だろう。
それでも、デジャヴに捉われる。
例えば、子どもはトーストにバターをぬって
さらにジャムをつける。
見るだけで胃がもたれそうなトーストだ。
そんなことをおかまいなしに、
子どもはむしゃむしゃと口にする。
そのとき、またデジャヴだ。
どこかで見た景色。そうだ、
私も子どもの頃、同じことをしていたのだ。
たまに離れて暮らす私の母親が
家に遊びに来るときがある。
孫を見ながら言う言葉はいつも一緒だ。
「あんた、そっくりね」
やっぱりそうだ。私が子どものころと、
今の子どもがやっていることが
似ているからデジャヴと思っただけなのだ。
そう考えると、
私にも、いつか孫ができるときが来る。
もしその孫が男の子がだったら、
自分の子どもと、
そっくりな行動をとるだろう。
つまり、私ともそっくり。
要するに、3回目の同じ景色が
見られることになるのだ。
デジャヴにデジャヴが重なる、
その日が楽しみだ。
なんて、物思いに耽っていると、
夕方5時になった。今日は土曜日。
確か、ドラえもんの放送があったな。
レゴ遊びに夢中になっている
子どもに声をかける。
「ドラえもん、始まっているよ。
見ないの?」
あれ、この言葉、
どこかで聞いたことがあるぞ。
また、デジャヴだ。
そうだ、私が子どもの頃、
親から言われた言葉だ。
それは、昭和時代の話。
オープニングの曲から見逃すまいと、
慌ててテレビをつける子どもの私。
テレビに近づきすぎて、親から
「近いよ」と注意される。
CMで流れる、ドラえもんのおもちゃを
見ると「これ欲しい」と
おねだりしたっけ。
そんな思い出にひたっていると、
子どもからひと言。
「大丈夫。撮ってるから」
テレビはリアルタイムで見ない。
レコーダーで撮って、
後でCMを飛ばしながら見る。
それが今の常識。
デジャヴでない、ときもあるようだ。
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