好き嫌いで言うと、美容院は嫌いだ。
髪を切ってくれる美容師さんと
二人きりの空間。
何を話していいか、わからなくなる。
美容師さんも気を遣ってあたりさわりのない
話題をふってくれるのだが、
正直、黙って考えごとをしていたい。
だったら短時間カットのお店にすれば、
と言われるのだが、
どうも私の髪は特殊らしく
短時間のカットでは、
まとまったためしがない。
そんなわけで若い頃から
美容院を何件もあたった。
技術はいいが、おしゃべりが多い。ダメ。
おしゃべりが少ないが、
技術はいまいち。ダメ。
常に一見さんなので、
毎回、ヘアスタイルの仕上がりイメージを
説明するのに疲れてくる。
そんなとき、出会ったのが
今の美容院の美容師さん。
その方もあまりおしゃべりが
好きでないようだ。
なじみのお客さんには
愛想よく振る舞いているが、
カットに夢中になると無言になる。
私の髪をカットしている間は終始無言。
私から一切話しかけないからだが、
カットに夢中になっているときは、
「話しかけないでモード」になる。
まずは横髪、後髪、そして前髪。
淡々とカットした後、
また横髪からやり直す。
素人目には何が変化したか
わからないのだが、
彼なりの技術を全てを尽くしてくれている、
という気になる。
そしてカットが終了した姿を見ると、
非常に満足いく出来栄え。
まさに職人芸という、まとまり方だ。
おまけに何も話さなくていいので、
仕事のアイデアなど、
考え事までまとまっている。
そんなところが気に入ったポイント。
恐らく10年以上は通い続けている。
歳をとって毛量が減るので、
ヘアスタイルも変更した。
信頼していたので、彼の提案どおりに。
そのたびに歳相応にまとめてくれた。
私の髪に関しては
誰よりもわかってくれている人なのだ。
ただ、気になることがあった、
彼は私より明らかに年上。
恐らく定年に差し掛かって
いるのではないか。
彼が辞めてしまうと、
私はまた美容院難民だ。
あと何回髪を切ってもらえるだろうか。
そんなとき、
また髪が伸びて気になってきた。
いつものようにネットで
予約を取ろうとする。
だが、ほとんど空きがない。
彼は人気の美容師さんだが、
こんなことは今までなかった。
思ったことが現実になりそうな気がした。
時間どおり、なじみの美容院へ。
彼が迎えてくれて、カット開始。
いつものように沈黙の時間が流れる。
そのまま1時間が過ぎると思っていた、
そのとき彼が口を開いた。
「僕、辞めるっていいましたっけ?」
ああ、やっぱり。残念だ。
「いえ、聞いてませんけど」
気持ちを出さないように返事をする。
「あ、前回伝えられていなかったんですね。
良かったら、これ、受け取ってください」
差し出されたのは一枚の名刺。
見慣れない美容院の
名前が書いてある。
どういうことだろう?
「今度、そのお店を友人と
立ち上げたんですよ。
お電話くれれば、
そのお店でカットしますんで」
「あれ、もうすぐ定年だったと
思っていたんですけど」
驚きで思わず、頭の中ことを
口にしてしまう。
「そうなんです。だからこそ、
何か新しいことに
チャレンジしたいと思いまして」
定年間近に会社を辞めて、
新しいことにチャレンジする。
なじみの美容師さんを
失わなかったことよりも、
そのことに感銘を受け、気持ちが高ぶる。
それからは堰を切ったように
おしゃべりをした。
10年間を振り返りながら、
10年分のおしゃべりを。
さて、私には小さな子どもがいるが、
その髪は私が切っていた。
ハサミで切るのは難しいので、
バリカンで刈る。
長さを調整して、
横、前、後と刈っていく。
バリカンが怖いのか、
子どもは黙ったままだ。
一方、私は
「横はちょうどいい長さにできた」
「前髪はもうちょっとか」
と、ひとりでしゃべっている。
自分の苦戦している様子を
実況してしまうのだ。
無言でお客の髪を仕上げていく。
なんでもないことだが、
改めてプロのすごさがわかる。
いつか上手になって、
子どもと日常の会話をしながら、
髪を切られるようになるかな。
そんな思いと裏腹に、
小学校にあがった子どもは
お店で髪を切るようになった。
家で子どもの髪を切ると、
お風呂場に髪が散らかる。
それを妻が嫌がったからだ。
私は廃業した。
さて、何か新しい
チャレンジを見つけないと。
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