子どもは果物が好きだ。お菓子よりいい。親にとって喜ばしいことだ。ただ、やっぱり皮をむくのは難しい。子どもが果物を食べたいというたび、親が皮むき職人と化すのは、あるあるだ。自分が食べるわけではないが、子どものために皮をむく。動物が子どもに食べ物を食べやすくしてから渡すように、古来からの習慣ではないだろうか。
果物の中で一番簡単に皮をむけるのは、やはりミカンだ。ただ、4歳の次男には、それでもまだ難しいようだ。なぜか上の方から皮をむこうとして、当然、上手くむけない。気が付くと、ミカンの皮の破片が机の上に散らばっている。そのタイミングで、「お父さん、むいて」と声をかけてくる。すぐにむいてやろうと思うのだが、途中からだと却って難しい。「まだ?」という次男にせっつかれながら、実と皮の間に爪を入れて、むいていく。むぎ終わった頃には、爪の間がまっ黄色だ。
ミカンはまだいい。一番面倒なのが、ブドウだ。皮も薄く、すぐに破れてしまう。残ったさらに薄い皮をなんとかむこうとする。しかもブドウは、1個1個が小さい。せめて3個ぐらいは食べさせてあげたいので、3回同じことを繰り返すことに。そんなこんなで、むき終わる頃には手がびしょびしょになっている。ブドウが出るときは、私は食卓から目を背けるようになった。我ながらひどい父親だと思う。
かといって、私は包丁が上手に使えない昭和のおやじなので、リンゴの皮もむけない。スイカは切るだけなので、皮をむくとは言えないだろう。そもそも切るのは妻の役目だ。しまった、私の出番がまったくないではないか。そうなると、私はやはりミカン、ポンカン、デコポンの類になる。デコポンは特に私の出番だ。皮が厚いので子どもには、まだまだ難しい。デコポンの裏側から力を入れて親指を突き刺す。そこから上に皮をむく。4回くらいやれば、あっというまにむける。
そしてあっという間にたいらげる子どもたち。手に果汁がついてしまっているので、ウェットティッシュを差し出す。これで果物の時間は終わり。親と子どものコミュニケーションだ。大きくなったら、こんな時間もなくなるだろう。ゲームも最近は上手になって私を頼らなくなった。果物も自分でむけるようになって、私を頼らなくなるだろう。子どもたちが一人立ちしていくのは、寂しさの方が先に来る。いや、親としてはそれではいけない。それを喜びにしなくては。そう思いつつ、今はまだむけないミカンに愛着がわくのだった。
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