あのね

パパの育児

この春から幼稚園に入園した、
4歳になる次男。
おしゃべりをするとき、
「あのね」
というのが口癖だ。

「あのね、父さん、あのね」
「あのね、母さん、あのね」

といった具合。
なんとも可愛いらしい。
おしゃべりは続く。

「あのね、お父さん、今日ね、幼稚園でね、
あのね、お友だちと遊んでたらね、
僕のね、おもちゃをね」

「ね」が何度も重なっていく。
それはまるでメロディのようだ。
このまま眠りたくなる、
心地よい響き。

正直言って、私に
何を伝えたいかはわからない。
でも一生懸命、私に伝えようとする
気持ちが見えて愛おしい。

歳を取ると、一日なんてあっという間、
いや、それどころか、
一週間、一か月、一年だって
あっという間だ。
思えば子どもの頃は、一日は長かった。
学校の1時間目から5時間目。
体育に音楽に算数に国語、
教科書をめくるたび、
先生が口を開くたび、
新しい世界が飛び込んでくる。
そんな新しさを小さな体で受け止めて、
自宅に帰る。
当時は娯楽はテレビぐらい。
近所の友だちと遊んで帰っても、
まだ辺りは暗くない。夕食もまだ。
窓の外の夕方の橙色の光を
ただリビングでじっと見つめる自分。
時間が止まったのではないか
と思うくらい、長い時間だった。

今の次男もその
長い一日を毎日過ごしているのだ。

朝起きて、幼稚園に行って、帰って寝るだけ。
大人の目からすれば、それだけのことで、
同じ日々が過ぎているだけなのだが、
子どもの目からすれば、
毎日新しい出来事が起きているのだ。

今日は初めてあの子と遊んだ。
今日は初めて覚えた歌を習った。
今日は初めて大きな犬を見た。
今日は初めて満月を見た。

そして、その新しい出来事を
妻や私に一生懸命伝えたいのだ。
でも、頭の中に描かれた絵を
まだ言葉で整理できない。
だから、まず「あのね」と口に出してみる。
小さな頭の中から、
その「ね」に続いて
言葉が溢れてくるのだ。

「あのね、父さん、あのね」

改めて、その声を聞く。
凝り固まった岩に
新鮮な水が降り落ちるかごとく、
私の心は洗われていくのだ。

幼稚園に通い出してから
しばらくたったある日。
お風呂に入って寝る時間になった。
次男と一緒に床に就く。
さてさて、
今日はどんなことが起こったのかな?
何をお話ししてくれるのかな?
期待に胸を膨らませる。
案の定、次男は
私に何か話したいようだ。
目がばっちり明いている。
しかし、次の瞬間、
次男から出た言葉は、

「あのさ、お父さん」

うん? 
なんか、それ、違うかな。
「さ」はどうかな。
「ね」にしない?

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